江戸のヘアスタイル④ 【きらびやかな髪を飾る装飾品】
女性のヘアスタイルは実に多種多様でした。時代が下るにつれて、唐輪髷、兵庫髷、島田髷と手の込んだ髪型になっていきますが、島田髷と並んで人気だったのが「勝山髷」でした。
この髪型のモデルは、吉原の遊女・勝山でした。後方で束ねた髪を元結で括り、先を細めにした上で、前に曲げ輪を作った髪型です。
勝山髷から発展したのが、「丸髷」です。島田髷とは違って、主に既婚女性の髪型でしたが、髷の大きさや厚みで年齢差が出ているといいます。若い女性ほど大きく、年配の女性ほど小さかったようです。
なお、女性の場合は髪を飾る櫛・笄・簪などの装飾品の変化も見逃せません。
江戸初期、櫛や笄は黄楊や鯨髭で作られていましたが、その後、鼈甲や鹿の角で作られたものが登場します。享保期にはビードロの笄が流行しました。装飾品と組み合わせることで、髪型のバリエーションが際立ったのです。
江戸のヘアスタイル⑤ 【髪結床の賑わい】
髪型を維持するには、手入れが必要なのは今も江戸も変わりはありません。懐の寂しい町人も現代の理容室・美容院にあたる髪結床に通うことが不可欠でした。
髪結床には、橋のたもとや河岸地、広小路、町境などを利用して床場を構えた「出床」(でどこ)と、家を借りて営業する「内床」(うちどこ)の2種類がありました。
髪結の仕事場は固定した髪結床とは限りませんでした。道具一式を収めた道具箱を持って、お得意先を廻ることも珍しくありません。
髪結の料金は時代によってまちまちですが、20数文でした。かけ蕎麦1杯16文より少し高いぐらいの価格です。
江戸中期以降、髪結床の設備はかなり整えられ、町の社交場としての顔を持つようになります。順番を待つ客のため囲碁や将棋盤が置かれ、待ち時間を潰してもらいました。絵草紙を見せるサービスまでありましたが、現在に喩えれば待合室で雑誌を読むようなものでしょう。
※安藤優一郎氏の「江戸の歳時記」Ⅰ~Ⅲ (2015~2018年)を冊子として刊行しております。
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